意味が分かればいいから、と人はよく言いますが、意味が分かる訳文を作るのって実は結構大変なんです。私がなぜ「『意味が分かる訳文』を意識しています」などとわざわざプロフィール文に入れているかというと、意味が分からない訳文というのは実は数多く存在するからです。
英語という、日本語とは全く異なる言語体系で表現された概念を理解し、意味が分かる日本語で書き直す作業がいかに難しいのかは、普段意味の分かる訳文をあたりまえに納品してくれる翻訳者と付き合いのあるクライアントには理解し難いかもしれません。 しかし「英語のニュアンスをしっかりと汲み取る」という工程を経ないで字面だけ日本語にすると、実に意味の分からない訳文が出来上がります。なかなか想像しづらいとは思いますが、これが本当にさっぱり理解できない日本語なのです。 こうした翻訳結果(世に言うDeepLをちょっと直しただけのやつ)をレビュアーが修正するのは実に困難な作業なのですよ。だからレビューの仕事のオファーはみんな警戒するし、低い報酬では引き受けたがらないのです。 ですから「意味が分かる訳文」というのは、世の中に大量にあふれるさまざまな品質の翻訳の中で見れば、それだけでそれなりに質の高い訳文ということになります。そうでない訳文を大量に見るまで気付かない事実だとは思いますが。フリーランス翻訳業の現場から
翻訳個人事業主の仕事 Season 2| フリーランス翻訳者 渡邉ユカリのブログ
2024年4月3日水曜日
2024年4月2日火曜日
別にそれで誰も死にはしないけどどうにも気持ち悪い日本語があふれる世界
最近、某大手通販サイト(笑)で本を検索すると下の図の「簡単に確認」というボタンのように、「別にそれで死人が出たりはしないけどちょっと引っかかる」日本語が表示される頻度が高くなったように感じます。
こういう風に「翻訳が不自然でも別に誰も困らない場面」においては、今後どんどんコストカットが進み、人間のチェックを経ることなく放出されていく日本語がインターネット上にあふれかえることになるのだろうと思います。
なんだかそんなことを想像するだけで今から頭が痛くなりますが、きっと私ひとりの頭が痛くなったところで誰も困らない、勝手にバファリン飲んどけや、という話なのでしょう。
日本語を愛する日本国民として、こういう流れが加速するのを止められないのは非常に悲しいのですが、どこもかしこもコストカットで、翻訳ごときにお金かけていられない、という世界観の中「正しい日本語を使って欲しいよう。えーん」という悲しみはきっとかき消されていくのでしょう。
「ほんの少しの違和感」と大幅なコストカット。天秤にかければ大幅なコストカットが優先されるのは止められませんし、仕方がないことだとは思いますが、日本語の崩壊につながっていくのではないかと非常に危惧しています。テクノロジーの進化と日本語文化の保護という二つの重要事項に挟まれたジレンマですね。
こういう話、誰かとどこかでしたいと思いますが...誰か今度一緒にやりませんか?
2024年1月27日土曜日
「翻訳の仕事ってまだあるの?」と言われたら
私は主に法律文書の翻訳を手掛けていますが特許と医療以外はジェネラルに何でもやる翻訳者です。
翻訳の仕事ってまだあるの?
とは、ときどき浴びせられる言葉です。
2023年9月3日日曜日
曖昧なことを言っていても仕方ない、翻訳者の生き残り策は何なのか
ここ数日、ある件で調べものをしていて(察しの良い方、そうです、あの件です)「AI(スペース)翻訳」でネット検索すると、AI時代の翻訳者の生き残り、とかAI翻訳が普及したら翻訳業はどうなるのか、という記事が大量にヒットしました。
それだけこの業界の未来について心配している人、もしくは「もうお金をたくさん払わなくても機械が翻訳をやってくれる」ことを期待している人が世の中に多いのだなと改めて思いました。
もうすでにこの手の記事はたくさんあるので私が改めて書くまでもないかと思いますが、本当のところどうなのか、これから私たち翻訳者はどういう道で食べていけるのでしょう。曖昧なことを言っていても仕方がないので、実際のところどうなのか、私のこれまでの経験から実感として予測できる今後の生き残り策を書いてみたいと思います。大きく分けると以下の三つあたりが妥当なのではないでしょうか。
①機械翻訳を味方につけ、大量に市場ニーズのある「牛丼案件(早い、安い、うまいを求められる案件)」を大量にさばいて薄利多売の選択肢を取る(日本の翻訳会社にとっての理想モデル)
②機械翻訳が適用できない、もしくは適用が難しい分野で勝負する
・書籍、字幕などの文章力や独特の感性が求められる分野
・またはマーケティングやニッチ分野など、実務分野で同じく磨き上げられた日本語の文章力を要する領域
・法律関係、論文など、複雑な構文や難解な内容を含むため読み取りが難しく機械が正しく訳出できない分野
③リンギストとしてではなく、内容の専門家(プロフェッショナル)として、機械翻訳が翻訳した内容のLQA(言語品質保証)担当として活動する
・医療関係、特許など
最後まで残るのはおそらく③だと思いますが(どこまで行っても機械翻訳の出力に対しては人間の最終点検が必要なので)、②もまだ機械に完全に追いつかれるまでに10年から20年程度はかかるのではないかと思っています。ちなみに私は②で逃げ切れるところまで逃げ切るつもりです。
これ以外には、バイリンガルライター、バイリンガルコピーライターなど、ライター領域が考えられますが、早めに参入しないといずれ飽和状態になる可能性もあるでしょう。
その他にはいっそのこと機械翻訳の開発者と一緒に機械翻訳の精度向上のための仕事をするという手もあるかもしれません。そちらに行く人も一定数いるでしょう。
どれが有望が、今の段階では分かりません。どれもなくなっているかもしれません。
いずれにしても自分でやりたい道を選び、自分で腹をくくるしかないと思います。ある程度は自分が楽しんでやれる領域でないと、しんどい時に乗り切れない、ということだけは確かだと思います。
いっそのこと全然違う分野で働いてみたい気持ちもありますよ。
私の場合はもう年齢的にどこかに雇われの身で働くのは無理でしょうから、あれとかあれとか、やってみたい仕事はいくつかあります。
子どもが幼稚園の時のバザーでPTAの役員としてクレープを数百枚焼いたことがあるので、クレープを焼くという特技があります。今度クレープの焼き方についてどこかでお伝えしますね~。いつかまたどこかで。
2023年8月23日水曜日
翻訳で難しいのは「日本語の部分」だけなのか
「難しいのはむしろ日本語です」の意味は、「日本語に悩む方が多いです」
8月17日(木)の『徹子の部屋』に、映画字幕翻訳家の戸田奈津子さんが出演されて話題になりました。物腰の柔らかな素敵な人物で、スターの横に立って通訳されている姿とはまた違った一面を見ることができ、一視聴者として番組を非常に楽しみました。
今回もまた「例のあの件」はおっしゃるのだろうかと、全集中で視聴していたところ、やはりおっしゃっていました。「例のあの件」とは、「字幕翻訳で難しいのは英語ではない、むしろ日本語の部分だ」というあの件です。
この発言は昨年の『トップガン・マーヴェリック』のトム・クルーズの来日プロモーション後の戸田奈津子さんに対するインタビューの中でも出ていたので、「翻訳に英語力は大していらない、必要なのは日本語力だ」という誤った印象が独り歩きしてしまわないかとずっと危惧していました。
今回は、次のようにおっしゃっていました。(18':14"ごろ)
「日本語のほうが全然、大切です。で、言語が分かるのはまあ当たり前で、ドラマなんだから難しいことしゃべってないじゃないですか。ほんとのセリフはね。で、それをいかに短く日本語で的確に、っていうそこが一番問題ですから。それは日本語の問題なので。やっぱり日本語に悩む方が全然多いです」
今回は「言語が分かるのは当たり前」と先にしっかりおっしゃっているので、この発言の真意は、戸田奈津子さんご自身が「英語よりも日本語で悩むことのほうが多い」ということであって、英語ができなくても日本語さえできれば字幕翻訳者になれるとは一言も言っていない、ということが分かると思い、少し安心しました。
でも、「ドラマだから難しいこと(は)しゃべっていない」というのはやっぱり誤解を招くのではないかなあ、と思いますね。これは私の推測ですが、この発言は彼女なりの謙遜なのだと思います。
字幕翻訳家が自ら「字幕翻訳というのは高い語学力がなければできない」などと公共の電波で言うと、なんだか偉そうに聞こえると思っていらっしゃるのでは?この前の部分(10':46"ごろ)でもスターたちに愛される理由はと黒柳さんに聞かれ、
「私はもう全然自分がそんなに英語も上手じゃないですから、自分はこれだけですってすっからかんにあけすけに見せちゃう。自分をよく見せようとか卑下しようとかそういう気持ちなしにこのままで付き合うと向こうもそのままで付き合ってくれるのかなあと思います」などとおっしゃっているのも同じく謙遜だと思います。
英語が上手くなくてあれだけスムーズなコミュニケーションができるわけありませんから。ご本人は意識的ではないかもしれませんが、ここで「やはり確かな通訳技術があるからだと思います」とはなかなか言えないですし、視聴者もそういう答えが返ってくることは期待していないと思いますから彼女の謙虚な人柄から出た発言だと私は思います、おそらく。
こういう人当たりの良い、柔らかい答えが返ってくることで視聴者もホッとしたのではないかと思います。
やはりテレビですから。ガチの通訳理論や翻訳理論などは視聴者から期待されていないのだと思います。どんな場面でも「私はそう大した人間ではないですよ」と発言することが上品であって、粋なのだと思います。
でもこれはあくまで謙遜の美徳であって、「映画やドラマの英語ではそんなに難しいことは言っていない、苦労するのは日本語だけだ」などと額面通りに受け取ると字幕翻訳家志望者は現実を見たときに「思っていたのと違う」っていうことになると思います。(いや、絶対難しいセリフあるやろ、普通に)
映画のセリフがそんなに簡単なら、そもそも(少し英語ができる人にとっては)字幕なんていらないじゃないですか。でも、それに反して映画ってかなり英語ができる人でも字幕なしで100%理解することって相当難しいはずです。みんなそれを実感しているから字幕の翻訳家ってすごいな、と憧れるのではないのでしょうか。
私は仕事としてエンタメの字幕の翻訳をしたことはありませんが、字幕翻訳講座なら受けたことがあります。課題に取り組んでいた時、日本語で悩む前に、英語の理解も難しかったですよ。
映画字幕界の大御所が、テレビの前で上品に謙遜なさっているのを真に受けてはいけないと思います。ドラマに出てくる英語を「そんなに難しくない」と感じるのは、それだけの英語力が当たり前に備わっているからです。
「日本語が上手ければ英語力が高くなくても翻訳できる」は嘘
映画の字幕に限らず、英日翻訳に必要なのは日本語力だ、は半分真実で半分嘘です。
英日翻訳に必要なのは(英語力と)日本語力だ、が正しいです。この認識をしっかり持っておかないと「翻訳自体はAIにさせて自分は日本語を手直しするだけでいい」などという誤った認識を持つことになりかねません。
DeepLに代表される機械翻訳や、ChatGPTに代表される生成系AIで翻訳した場合、その訳文には誤りも当然に含まれることが専門家によって指摘されています。AIの出力に誤りがあった場合、それを指摘して修正するには、当然、英語の解釈が間違っていることに気付くだけの読解力、つまり英語力が必要です。
AIの出力が100%正しいことを前提にして、原文の英語を見ないで日本語の出力だけを見て日本語を修正することを指して「機械翻訳の修正」とは言いません。
機械翻訳の訳を原文と照らし合わせながらチェックし、誤りがあれば修正し、ぎこちない訳文があればそれも編集することを業界では「機械翻訳のポストエディット(MTPE)」と言いますが、この作業を行うポストエディターには翻訳者と同等もしくはそれ以上の語学力が求められます。
MTの出力に誤りが含まれることもあることは一般社団法人アジア太平洋機械翻訳協会/Asia-Pacific Association for Machine Translation (AAMT) 作成の「MTユーザーガイド」にも記載されています。
翻訳の仕事は2つまたはそれ以上の言語に精通した人にしかできない仕事です。「英語力不問の翻訳の仕事」などあり得ませんので、そういった文言で人を集めようとしている高額翻訳講座などは、評判とキャンセルポリシーを十分に確かめた上で検討することを強くお勧めします。
AIを使えば英語力がなくても翻訳できる、ではなく、AIを皆が使って自分で翻訳しようとする時代だからこそ、AI以上の語学力と対応力が必要な仕事しか市場に出回ってこない、というのが現状です。
AIの進化で翻訳者にはますます高い能力が求められています。機械翻訳にかけたけど全く意味をなさなかった、という複雑な原文や訳しづらい原文だけが翻訳案件として出回っているのです。
2023年8月10日木曜日
SNS空間の「居心地」について
翻訳個人事業主の仕事のSeason 2の最初は翻訳の話ではなく、(以前から書きたかった)SNSについて書きたいと思います。
目次
・Twitter(現『X』)がなぜ従来より居心地の悪い空間になりつつあるのか
リツイートと検索機能|感想のつぶやきと制作側のエゴサーチ
・どうでもいい話ができなくなった
・「権力者に盾突いてはいけない」日本社会の構造
ジャニーズ事務所問題|オリラジ中田敦彦と松本人志
・で、結局SNSはどう使うのがいいのか
無難な使い方を|営業ではなく関係構築を目的に
Twitter(現『X』)がなぜ居心地の悪い空間になりつつあるのか
SNS、とりわけTwitter(現『X』)は振り返れば私にとって、2019年暮れの離婚後、2020年以降のコロナ禍をほぼ翻訳一本で生き抜くために絶対に不可欠な存在だったと思います。
ブログ記事とTwitter(現『X』)での発信をきっかけに同業者との交流が増え、仕事を得るための様々な気付きを得て、少しずつ取引先を増やしてきました。
しかし、一部の人たちにとってTwitter(現『X』)が徐々に居心地の悪い空間になってきたような気がします。去年あたりからアカウントを消して他のSNSに移ったり、SNS自体をやめたり、「デジタルデトックス」と称して週末は電源を落としたり電波の届かない山にこもったりする人たちが現れ始めました。Twitter(現『X』)が居心地の悪い空間になりつつあるのはなぜだろう、と考え始めたのは少し前からです。
Twitter(現『X』)の月間アクティブユーザー数は、サービスが生まれたアメリカに次いで日本は第2位です。アメリカと日本の人口差を考えると、国内でTwitter(現『X』)を使っている人の割合は日本が世界一ということになります。
出典: https://www.oberlo.com/statistics/number-of-twitter-users-by-country
ただ、日本だけの推移を見ていると、ここ最近で劇的に増えたというわけでもないようです。2013年から2015年にかけて急増していますが、以降はゆるやかな上昇となっています。
出典: https://www.statista.com/statistics/381839/twitter-users-japan/
私の予想では、Twitter(現『X』)アカウントを持っている人自体はすでに飽和状態で、ここ数年で日常的にアクティブに使う人が増えたのではないかなと思っています。
[リツイート(再投稿)と検索機能]
Twitter(現『X』)が居心地悪いなと感じるのは、自分の投稿に対して悪意のある返信がついた時や、誰かと誰かが喧嘩しているような場面を見てしまった時だと思います。
私の場合、翻訳に関してちょっと偏った意見を投稿したり、主に機械翻訳に言及したりした時に悪意の含まれたリプライを受け取ることが増えます。機械翻訳推進派(礼賛派)の一部には、いつまでも翻訳者が「翻訳の仕事は決してなくなりません」などと言っていると自分たちの仕事を否定されているように感じるのか、「翻訳の仕事はいずれなくなります」と断定するような言い方でかぶせてくる人もいます。
私の投稿を普段から読んでいる人は私の主張の内容に慣れている人も多く、そういう人たちから悪意を含む返信を受け取ることはほぼないのですが、リツイート(再投稿)機能で私のフォロワー外の人たちにたくさん読まれた時(いわゆるバズった時)に、想像もしないほど意地悪なことを言われたりします。
一番参ったのは、「翻訳が儲かると言っているのは比較的高齢の人に多い」という趣旨の投稿でした。確か引用RTだったと思います。50代前半の私はまだ中高年だと思っていましたが、「比較的高齢の人」というカテゴリに入れられたのは非常にショックでした。
私は翻訳が儲かるとは一言も言っていないはずなのですが、「翻訳もやりようによってはちゃんとそれで生活費を稼ぐこともできる」と伝えたかった投稿が意図しない形で伝わってしまったようです。翻訳で稼いでいた人がいたのはそれができた昔の話で、今から参入する人にはそんなことは無理だと思われているようでした。
その人は翻訳にはかかわったことのない人で、「翻訳なんか機械で十分」と思っているような感じでした。そういう「業界の外の人」に私の投稿が拡散されると、意図せずこのような傷つくコメントを受け取ることがあります。好意的な拡散は嬉しいのですが、「こいつこんなことを言っている」という、悪意の拡散はできればやめてもらいたいと思ってしまいます。そうは言っても、好意的か悪意があるかでリツイート(再投稿)に制限をかけるのは物理的にできないでしょうから、仕方のないことだとも思います。
もう一つ、投稿を検索できる機能も、エゴサーチを可能にしてしまい、自分や自分の投稿の悪口を目にしてしまうことにつながります。そんなこと、本当はやめておけばいいのですが、自分が他人からどう思われているか気になって、思わずエゴサーチしてしまう、というのは芸能人に限った話ではないと思います。
[感想のつぶやきと制作側のエゴサーチ]
エゴサーチは本の著者や映画の制作者などもしているようです。私たち一般読者が何気なく感想をつぶやいても、それはほぼ100%著者が見ていると思って間違いないと思います。
テレビで見たタレントの悪口も、書いた人にタレント本人にまで伝える意図がなかったとしても、おそらく大半が本人に届いているでしょう。「ネットに書く」というのは友達とランチしている時にちょっと悪口を言うとかグループLINEで盛り上がる、というのとは違って、「いつでも本人に届く可能性がある」ということを意識していないと無意識に制作者を傷つけていることもあると思います。そういうことを意識せず、インターネットという誰もが見る場所であることを忘れた人たちが、悪意なく悪口を気軽に書ける場所だというのもSNSが居心地の悪い空間になっていることの要因のひとつだと思います。
どうでもいい話ができなくなった
それから、SNSが居心地の悪い場所になりつつある理由として、「仕事やマーケティングの目的で使う人が増えてきた」ということも挙げられると思います。
万単位のフォロワーを持ついわゆる「インフルエンサー」と呼ばれる人たちが、「フォロワーを増やすコツ」として指南している内容が
・有益な情報を提供する
・誰かの悩みを解決する内容を提供する
だったりして、いつの間にか「こんなくだらないことばかり投稿していたらフォロワーが減るかな」などと無意識に考えるようになってしまったりするかもしれません。
私の場合は、投稿がバズって悪意ある返信を受け取ってからは、そうならないようにリスクヘッジをするのが癖のようになっています。例えば、「~は〇〇だ」というように断定しないで、「~は〇〇であることが多い」とか「~である人もいる」「可能性もある」というような曖昧な書き方にするということです。
それでも悪意あるコメントは来ます。そうするとしまいには「これはちょっと炎上しそうだし、やめておこうかな」と思って投稿自体をやめたりします。
最近、そのようにして私と同じようにちょっと刺激的な内容を投稿する人が減っている気がするのですが読者の皆さんの周りではどうでしょう。
SNSには独特のアルゴリズムが採用されていますから、自分の周りには自分と同じような意見を持つ人が集まってくるようなしくみになっているとも言われているので、そのように現時点で感じているのは私だけかもしれません。
こんな感じで昔よりSNSで「どうでもいい話ができなくなった」と感じています。だから、あまり多くの人が見ていない、新規サービスの「Threads(スレッズ)」が心地よくて、見ても誰も得しない本当にどうでもいい話はそちらに書いたりしています。
「権力者に盾突いてはいけない」日本社会の構造
それから、これは少しSNSの話から逸れるのですが、日本には「権力者(自分の雇用主や顧客)に盾突いてはいけない」という意識が他の国より強いような気がするのですがどうでしょう。
故ジャニー喜多川氏による未成年者への性加害問題が何十年にもわたって放置されてきたのは、マスコミが忖度し、テレビ局が忖度したからだと思いますが、それだけではなく、当時被害者から被害を訴えられた当のジャニーズ事務所の幹部も訴えてきた人たちに対し「世話になった人に恩を仇で返すのか」のようなことを言ったという話も一部の報道で出ています。
また、オリエンタルラジオの中田敦彦氏がYouTube番組で松本人志氏について、「漫才・コント・大喜利・漫談、お笑いの主流ジャンルすべての大会で審査委員長を務めている」と指摘した時も、彼は総スカンを食らっていたという印象です。
私自身はあの動画を見て「そういえばそうだよな」と思って、言っていることも一理あるなと思ったのですが、直後に色々なSNSを見ても中田敦彦氏を批判する声がほとんどだと感じました。ちなみに私は松本人志さんの番組は好きでM-1もキングオブコントもすべらない話もIPPONグランプリも全部見ます。それでも、全部の審査委員長を松本人志さんが担っているという指摘には「言われてみればその通り」と思いました。そして、それについて良いとも悪いとも思わず、「ひとつの気付き」としての情報、というふうに受け取ったので、特に中田敦彦さんに対して否定的な感情は持つことはありませんでした。
ところが一夜明けると大御所の芸能人たちもこぞって「松本さんは頼まれてやっているだけだ。自分から好き好んでやっているわけではない」とか、「松本さんがやれば箔が付くから番組が盛り上がる」とか、松本さんを擁護していました。
「あっちゃん」のことを擁護する堀江貴文さんや茂木健一郎さんは多くの人から批判されていて、あっちゃんに反論していた霜降り明星せいやさんや他の多くの芸人さんたちは支持されていました。こうしたことからも、彼は一般SNSユーザーから「松本人志という絶対的存在に盾突いた愚かな存在」として認識されているようでした。
私は、オリエンタルラジオのネタは面白いと思ったり思わなかったり、ネタにもよりますし当の中田敦彦さんのことは好きでも嫌いでもないです。彼のYouTubeでメタバースの勉強をしたりと、社会派のYouTube番組には何度か助けられました。
だからというわけでもないですが、彼のあのYouTubeでの発言は「そう言われてみれば確かに一理ある」とシンプルに受け止めました。そういう受け止め方をした人は、おそらく日本の一般の人たちの中では少なかったのではないかと思います。
なぜかというと、権力者に盾突くのは愚かな行為だから。自分に仕事をもたらしてくれるかもしれない人に歯向かうのは賢明な行為ではないというのが一般的な常識だからです。
これと同じようなことがSNS上でも起きていると感じます。
お世話になっている会社の悪口を直接ネットに書くのは確かにご法度だと思いますが、「恩がある相手のことは何があっても悪く言ってはいけない」という暗黙の社会的圧力も、SNSを「本当に言いたいことが言いづらい」空間にしている一因ではないかと思います。
で、結局SNSはどう使うのがいいのか
では結局、SNSはどう使えばいいのかという話ですが、やはり、自分の心身を守るためには極力、意地悪な返信を受け取る可能性を排除した方がいいと思います。つまり結果として、無難な投稿にとどめておくのがいいのではないか、というのが今の私の思うところです。
そして、特にTwitter(現『X』)ですが、ちょっと「いかがなものか」と思われる可能性のある投稿をするとたちまち「エアリプ」で言及されますから、極力、誰からも眉を顰められない健全な投稿をするのが安全かなと思います。
こうしてSNSはだんだん面白みに欠ける、お行儀の良い、毒にも薬にもならないような空間になっていくのだとは思いますが、それも成熟したSNS空間の中の賢い作法なのかもしれない、と思います。
いかがなものか、と思われないためには過剰な営業ももしかしたらNGかもしれません。誰かの役に立つかもしれない情報を投稿しつつ、時々自分の言いたいことも言って、ほんの少し、ほんとに時々、自らのマーケティングを目的とした投稿を織り交ぜる、というぐらいがちょうどいいのかなと感じています。(あくまで私の場合です)
そこまでしてSNSやる意味あるんかな、と思ったらやめるのもありだと思っています。
今のところ私は、Twitterでは極力無難に振る舞い、フォロワーの少ないThreadsで誰も見ていないどうでもいいことを投稿して、自分の話を聞きにくる人しか来ない音声配信サイトで自分の話したい話をする、というような感じでやっています。
「人とのつながりを構築する」というSNSの本来の目的だけを達成し、あまり多くを望まない方が精神衛生上は良いかな、などと考えています。
2023年7月5日水曜日
ブログ Season 2を始めます
皆様お久しぶりです
2017年にブログ「翻訳個人事業主の仕事」を始めましたが、当時からずいぶん状況が変わりました(旧姓に戻りました、名古屋に戻ってきました、仕事の取引の仕方も変わりました)し、ブログにしたためたい内容も変わったので、気分も新たにブログを立ち上げることにしました。どうぞよろしくお願いします。
このブログの方向性は、
・フリーランスの翻訳者として考察したいこと、分析したいこと、今後の事業戦略など
・ただ自分の言いたいことを言う(自分の意見を発信する媒体として使う)
・翻訳の仕事についてのお役立ち情報などはnoteで別途発信
ということでやって行こうと思います。他にもいろいろと媒体を持っていますが、暇すぎる人というわけではありません(笑)。
自ら発信すると、情報が集まってくる、同業者と交流するきっかけになるので、そういった面をメリットだと感じています。
このブログは基本的には自分の言いたいことを書くことを目的としていますので、読んでも何の参考にもならないかもしれません。興味のある話題だけ拾い読みしていただけると幸いです。
翻訳者になるための情報を探している方は
・note 渡邉ユカリ@フリーランス翻訳者
・Kindle本『翻訳者になるため 続けるためのヒント』
等をご覧ください。平日朝8:45からの朝活15分配信はこちらです。
それではブログSeason 2を皆様どうぞよろしくお願い致します!
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