2023年8月10日木曜日

SNS空間の「居心地」について

  翻訳個人事業主の仕事のSeason 2の最初は翻訳の話ではなく、(以前から書きたかった)SNSについて書きたいと思います。

目次

・Twitter(現『X』)がなぜ従来より居心地の悪い空間になりつつあるのか

 リツイートと検索機能|感想のつぶやきと制作側のエゴサーチ

・どうでもいい話ができなくなった

・「権力者に盾突いてはいけない」日本社会の構造 

 ジャニーズ事務所問題|オリラジ中田敦彦と松本人志

・で、結局SNSはどう使うのがいいのか

   無難な使い方を|営業ではなく関係構築を目的に


Twitter(現『X』)がなぜ居心地の悪い空間になりつつあるのか

 SNS、とりわけTwitter(現『X』)は振り返れば私にとって、2019年暮れの離婚後、2020年以降のコロナ禍をほぼ翻訳一本で生き抜くために絶対に不可欠な存在だったと思います。

 ブログ記事とTwitter(現『X』)での発信をきっかけに同業者との交流が増え、仕事を得るための様々な気付きを得て、少しずつ取引先を増やしてきました。

 しかし、一部の人たちにとってTwitter(現『X』)が徐々に居心地の悪い空間になってきたような気がします。去年あたりからアカウントを消して他のSNSに移ったり、SNS自体をやめたり、「デジタルデトックス」と称して週末は電源を落としたり電波の届かない山にこもったりする人たちが現れ始めました。Twitter(現『X』)が居心地の悪い空間になりつつあるのはなぜだろう、と考え始めたのは少し前からです。

 Twitter(現『X』)の月間アクティブユーザー数は、サービスが生まれたアメリカに次いで日本は第2位です。アメリカと日本の人口差を考えると、国内でTwitter(現『X』)を使っている人の割合は日本が世界一ということになります。


                                    出典: https://www.oberlo.com/statistics/number-of-twitter-users-by-country

  ただ、日本だけの推移を見ていると、ここ最近で劇的に増えたというわけでもないようです。2013年から2015年にかけて急増していますが、以降はゆるやかな上昇となっています。



                                   出典: https://www.statista.com/statistics/381839/twitter-users-japan/

 私の予想では、Twitter(現『X』)アカウントを持っている人自体はすでに飽和状態で、ここ数年で日常的にアクティブに使う人が増えたのではないかなと思っています。


 [リツイート(再投稿)と検索機能]

 Twitter(現『X』)が居心地悪いなと感じるのは、自分の投稿に対して悪意のある返信がついた時や、誰かと誰かが喧嘩しているような場面を見てしまった時だと思います。

 私の場合、翻訳に関してちょっと偏った意見を投稿したり、主に機械翻訳に言及したりした時に悪意の含まれたリプライを受け取ることが増えます。機械翻訳推進派(礼賛派)の一部には、いつまでも翻訳者が「翻訳の仕事は決してなくなりません」などと言っていると自分たちの仕事を否定されているように感じるのか、「翻訳の仕事はいずれなくなります」と断定するような言い方でかぶせてくる人もいます。

 私の投稿を普段から読んでいる人は私の主張の内容に慣れている人も多く、そういう人たちから悪意を含む返信を受け取ることはほぼないのですが、リツイート(再投稿)機能で私のフォロワー外の人たちにたくさん読まれた時(いわゆるバズった時)に、想像もしないほど意地悪なことを言われたりします。

 一番参ったのは、「翻訳が儲かると言っているのは比較的高齢の人に多い」という趣旨の投稿でした。確か引用RTだったと思います。50代前半の私はまだ中高年だと思っていましたが、「比較的高齢の人」というカテゴリに入れられたのは非常にショックでした。

 私は翻訳が儲かるとは一言も言っていないはずなのですが、「翻訳もやりようによってはちゃんとそれで生活費を稼ぐこともできる」と伝えたかった投稿が意図しない形で伝わってしまったようです。翻訳で稼いでいた人がいたのはそれができた昔の話で、今から参入する人にはそんなことは無理だと思われているようでした。

 その人は翻訳にはかかわったことのない人で、「翻訳なんか機械で十分」と思っているような感じでした。そういう「業界の外の人」に私の投稿が拡散されると、意図せずこのような傷つくコメントを受け取ることがあります。好意的な拡散は嬉しいのですが、「こいつこんなことを言っている」という、悪意の拡散はできればやめてもらいたいと思ってしまいます。そうは言っても、好意的か悪意があるかでリツイート(再投稿)に制限をかけるのは物理的にできないでしょうから、仕方のないことだとも思います。

 もう一つ、投稿を検索できる機能も、エゴサーチを可能にしてしまい、自分や自分の投稿の悪口を目にしてしまうことにつながります。そんなこと、本当はやめておけばいいのですが、自分が他人からどう思われているか気になって、思わずエゴサーチしてしまう、というのは芸能人に限った話ではないと思います。

 [感想のつぶやきと制作側のエゴサーチ]

  エゴサーチは本の著者や映画の制作者などもしているようです。私たち一般読者が何気なく感想をつぶやいても、それはほぼ100%著者が見ていると思って間違いないと思います。

 テレビで見たタレントの悪口も、書いた人にタレント本人にまで伝える意図がなかったとしても、おそらく大半が本人に届いているでしょう。「ネットに書く」というのは友達とランチしている時にちょっと悪口を言うとかグループLINEで盛り上がる、というのとは違って、「いつでも本人に届く可能性がある」ということを意識していないと無意識に制作者を傷つけていることもあると思います。そういうことを意識せず、インターネットという誰もが見る場所であることを忘れた人たちが、悪意なく悪口を気軽に書ける場所だというのもSNSが居心地の悪い空間になっていることの要因のひとつだと思います。


どうでもいい話ができなくなった

 それから、SNSが居心地の悪い場所になりつつある理由として、「仕事やマーケティングの目的で使う人が増えてきた」ということも挙げられると思います。

 万単位のフォロワーを持ついわゆる「インフルエンサー」と呼ばれる人たちが、「フォロワーを増やすコツ」として指南している内容が

・有益な情報を提供する 

・誰かの悩みを解決する内容を提供する

 だったりして、いつの間にか「こんなくだらないことばかり投稿していたらフォロワーが減るかな」などと無意識に考えるようになってしまったりするかもしれません。

 私の場合は、投稿がバズって悪意ある返信を受け取ってからは、そうならないようにリスクヘッジをするのが癖のようになっています。例えば、「~は〇〇だ」というように断定しないで、「~は〇〇であることが多い」とか「~である人もいる」「可能性もある」というような曖昧な書き方にするということです。

 それでも悪意あるコメントは来ます。そうするとしまいには「これはちょっと炎上しそうだし、やめておこうかな」と思って投稿自体をやめたりします。

 最近、そのようにして私と同じようにちょっと刺激的な内容を投稿する人が減っている気がするのですが読者の皆さんの周りではどうでしょう。

 SNSには独特のアルゴリズムが採用されていますから、自分の周りには自分と同じような意見を持つ人が集まってくるようなしくみになっているとも言われているので、そのように現時点で感じているのは私だけかもしれません。

 こんな感じで昔よりSNSで「どうでもいい話ができなくなった」と感じています。だから、あまり多くの人が見ていない、新規サービスの「Threads(スレッズ)」が心地よくて、見ても誰も得しない本当にどうでもいい話はそちらに書いたりしています。


「権力者に盾突いてはいけない」日本社会の構造 

 それから、これは少しSNSの話から逸れるのですが、日本には「権力者(自分の雇用主や顧客)に盾突いてはいけない」という意識が他の国より強いような気がするのですがどうでしょう。

  故ジャニー喜多川氏による未成年者への性加害問題が何十年にもわたって放置されてきたのは、マスコミが忖度し、テレビ局が忖度したからだと思いますが、それだけではなく、当時被害者から被害を訴えられた当のジャニーズ事務所の幹部も訴えてきた人たちに対し「世話になった人に恩を仇で返すのか」のようなことを言ったという話も一部の報道で出ています。

 また、オリエンタルラジオの中田敦彦氏がYouTube番組で松本人志氏について、「漫才・コント・大喜利・漫談、お笑いの主流ジャンルすべての大会で審査委員長を務めている」と指摘した時も、彼は総スカンを食らっていたという印象です。

 私自身はあの動画を見て「そういえばそうだよな」と思って、言っていることも一理あるなと思ったのですが、直後に色々なSNSを見ても中田敦彦氏を批判する声がほとんどだと感じました。ちなみに私は松本人志さんの番組は好きでM-1もキングオブコントもすべらない話もIPPONグランプリも全部見ます。それでも、全部の審査委員長を松本人志さんが担っているという指摘には「言われてみればその通り」と思いました。そして、それについて良いとも悪いとも思わず、「ひとつの気付き」としての情報、というふうに受け取ったので、特に中田敦彦さんに対して否定的な感情は持つことはありませんでした。

 ところが一夜明けると大御所の芸能人たちもこぞって「松本さんは頼まれてやっているだけだ。自分から好き好んでやっているわけではない」とか、「松本さんがやれば箔が付くから番組が盛り上がる」とか、松本さんを擁護していました。

 「あっちゃん」のことを擁護する堀江貴文さんや茂木健一郎さんは多くの人から批判されていて、あっちゃんに反論していた霜降り明星せいやさんや他の多くの芸人さんたちは支持されていました。こうしたことからも、彼は一般SNSユーザーから「松本人志という絶対的存在に盾突いた愚かな存在」として認識されているようでした。

 私は、オリエンタルラジオのネタは面白いと思ったり思わなかったり、ネタにもよりますし当の中田敦彦さんのことは好きでも嫌いでもないです。彼のYouTubeでメタバースの勉強をしたりと、社会派のYouTube番組には何度か助けられました。

 だからというわけでもないですが、彼のあのYouTubeでの発言は「そう言われてみれば確かに一理ある」とシンプルに受け止めました。そういう受け止め方をした人は、おそらく日本の一般の人たちの中では少なかったのではないかと思います。

 なぜかというと、権力者に盾突くのは愚かな行為だから。自分に仕事をもたらしてくれるかもしれない人に歯向かうのは賢明な行為ではないというのが一般的な常識だからです。

 これと同じようなことがSNS上でも起きていると感じます。

 お世話になっている会社の悪口を直接ネットに書くのは確かにご法度だと思いますが、「恩がある相手のことは何があっても悪く言ってはいけない」という暗黙の社会的圧力も、SNSを「本当に言いたいことが言いづらい」空間にしている一因ではないかと思います。

 

で、結局SNSはどう使うのがいいのか

 では結局、SNSはどう使えばいいのかという話ですが、やはり、自分の心身を守るためには極力、意地悪な返信を受け取る可能性を排除した方がいいと思います。つまり結果として、無難な投稿にとどめておくのがいいのではないか、というのが今の私の思うところです。

 そして、特にTwitter(現『X』)ですが、ちょっと「いかがなものか」と思われる可能性のある投稿をするとたちまち「エアリプ」で言及されますから、極力、誰からも眉を顰められない健全な投稿をするのが安全かなと思います。

 こうしてSNSはだんだん面白みに欠ける、お行儀の良い、毒にも薬にもならないような空間になっていくのだとは思いますが、それも成熟したSNS空間の中の賢い作法なのかもしれない、と思います。

 いかがなものか、と思われないためには過剰な営業ももしかしたらNGかもしれません。誰かの役に立つかもしれない情報を投稿しつつ、時々自分の言いたいことも言って、ほんの少し、ほんとに時々、自らのマーケティングを目的とした投稿を織り交ぜる、というぐらいがちょうどいいのかなと感じています。(あくまで私の場合です)

 そこまでしてSNSやる意味あるんかな、と思ったらやめるのもありだと思っています。

 今のところ私は、Twitterでは極力無難に振る舞い、フォロワーの少ないThreadsで誰も見ていないどうでもいいことを投稿して、自分の話を聞きにくる人しか来ない音声配信サイトで自分の話したい話をする、というような感じでやっています。

 「人とのつながりを構築する」というSNSの本来の目的だけを達成し、あまり多くを望まない方が精神衛生上は良いかな、などと考えています。